tabeteneruのブログ

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「風立ちぬ」観てきました

昨日、ジブリ最新作「風立ちぬ」を観てきました。

 

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設定やあらすじなどは、公式をあたっていだたくことにして

観て、感じたそのままの感想を忘れぬうちに書いていきたいと思います。

出来るだけ、ネタばれ少なめで。

 

僕は、宮崎駿監督がはじめて自身の作品で泣いたこと、

CMのユーミンのあの哀愁を誘う歌声とはかなげに風になびく少女に惹かれて

よし、盛大に泣きにいこう!と思って観に行ったんですが 

 

よく分からなかった。

 

これが、観終えてすぐの率直な気持ちでした。

誤解なきよう、もっと正確にこの気持ちを言い表すなら

僕には、まだ分かり得ないことが多すぎた。

 

 

これまでの作品に相反して、 

ジブリの特徴といえる、ありえない挙動や奇々怪々な登場人物は

今作品ではほとんど見られなかったように思います。

空想空間においての一部分のみで、作中でもきっちり線引きがあったように感じました。

 

これは、今作品の方向性を如実に表わしていると思います。

あくまで、自然で人間的な世界を描くことにこだわっていた。

自然で人間的な世界とは、しばしば、ささやかな温かさや些細な感情の交錯が中心になります。事実、私たちが生きる上で世界を震撼させるような現象や日々、テレビを流れるニュースでさえも、日常生活で実際に感じた刺激や思いを超越してくるものは多くありません。世間では、多くの人に影響を与えた事柄がフォーカスされていますが、それがそのまま個人の生活を表わしているわけではないのです。(しかし個人を捨象し、時代を端的に伝えるには充分な方法だと思います。)

 

劇中で時間経過の主張はあまりありませんでしたが、

ありありと描かれた関東大震災満州国設立や戦後など、二郎はこの時代を生きているのだ、と適宜で感じさせられました。

 

もはや戦後というには年月は経ち過ぎ、戦争を経験した世代はこの世の舞台から去ろうとしている今現在、多くの場合、私たちがこの戦争のあった時代を知るのは紙面の年表です。こうした、史実の見え方を逆転的に(現実であったわけだから逆転もくそもないが、年月とはかくも残酷)、この時代に没入できるのは今作品の魅力のひとつだと思います。

 

 

さて、

よく分からなかったということについて。

順番が前後しているように感じられますが、これは下の方にそっと書きたかったのでこのような展開になりました。読みづらくなりまして、ご苦労をおかけいたします。

※ネタばれ注意

 

 飛行機開発の傍らで描かれる

将来を期待された天才設計士、堀越二郎と菜穂子、二人の愛。結核の病に襲われながらも、二人が仲睦まじくしているさまはとても微笑ましいです。

婚約が決まったのち菜穂子がかっ血して、二郎が移動の電車の中で涙を流しながら設計図を書いている場面には目頭が熱くなりました。なんでこんな二人に苦しみを与えねばならんのかと。

 

結婚を済ませて一緒に住み始めるが、新型の飛行機を完成さねばならない二郎と病気と闘いながらの菜穂子。 二人でいられる時間は限られていて、飛行機の完成とともに菜穂子は去っていく...この飛行機がまた美しい...。「美しいところだけ好きな人に見てもらったのね」という言葉は印象に残りました。

 

しかしながら、僕が学生で、愛する人と仕事の間で苦しんだ経験がないからか、一生添い遂げようと思える人を持った経験がないからなのか、いまいち、感情移入できなかった。僕が二郎なら、菜穂子さんを最後まで看取りたい。山奥で寂しく逝ってほしくない。菜穂子さんの意思を尊重するということもあるが、寂しすぎるじゃないですか。

 

もちろん二郎にもそういう気持ちはあって、

それを踏まえた上でなおのことだと思うのだが、今の僕では理解が及ばなかった。そういう意味での、よく分からなかったです。

 

 

おそらく、十年後にまたこの作品を観たらば

もっと色んな感じ方ができるのだろうと思います。

長い付き合いになりそうな、映画でした。